贞观政要_卷六论仁恻评析
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查阅典籍:《贞观政要》——「贞观政要·卷六论仁恻」原文
恻隐之心,人皆有之。国君掌握着臣子的生杀予夺大权,尤其需要具有仁慈的胸怀。国君宽厚仁爱,才能体恤百姓疾苦,施行仁政。太宗遣送后宫三千宫女,赎买大旱时被出卖的男女,不避辰日哀悼襄州都督张公谨,表现出宽厚仁慈的恻隐之心。贞观初,太宗谓侍臣曰:“妇人幽闭深宫,情实可愍。隋氏末年,求采无已,至于离宫别馆,非幸御之所,多聚宫人。此皆竭人财力,朕所不取。且洒扫之余,更何所用?今将出之,任求伉俪,非独以省费,兼以息人,亦各得遂其情性。”于是后宫及掖庭前后所出三千余人。
贞观二年,关中旱,大饥。太宗谓侍臣曰:“水旱不调,皆为人君失德。朕德之不修,天当责朕,百姓何罪,而多遭困穷!闻有鬻男女者,朕甚愍焉。”乃遣御史大夫杜淹巡检,出御府金宝赎之,还其父母。
贞观七年,襄州都督张公谨卒。太宗闻而嗟悼,出次发哀。有司奏言:“准阴阳书云:‘日在辰,不可哭泣。’此亦流俗所忌。”太宗曰:“君臣之义,同于父子,情发于中,安避辰日?”遂哭之。
贞观十九年,太宗征高丽,次定州,有兵士到者,帝御州城北门楼抚慰之。有从卒一人病,不能进。诏至床前,问其所苦,仍敕州县医疗之。是以将士莫不欣然愿从。及大军回次柳城,诏集前后战亡人骸骨,设太牢致祭,亲临,哭之尽哀,军人无不洒泣。兵士观祭者,归家以言,其父母曰:“吾儿之丧,天子哭之,死无所恨。”太宗征辽东,攻白岩城,右卫大将军李思摩为流矢所中,帝亲为吮血,将士莫不感励。
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