《容斋随笔·卷十二·汉士择所从》
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汉自中平黄巾之乱,天下震扰。士大夫莫不择所从,以为全身远害之计,然非豪杰不能也。荀彧少时,以颍川四战之地,劝父老亟避之,乡人多怀土不能去,彧独率宗族往冀州,袁绍待以上宾之礼。彧度绍终不能定大业,去而从曹操。其乡人留者,多为贼所杀。袁绍遣使迎汝南士大夫,和洽独往荆州,刘表以上客待之。洽曰:“所以不从本初,避争地也。昏世之主,不可黩近,久而不去,谗慝将兴。”遂南之武陵,其留者多为表所害。曹操牧兖州,陈留太守张邈与之亲友。郡士高柔独以为邈必乘间为变,率乡人欲避之,众皆以曹、张相亲,不然其言。柔举家适河北,邈果叛操。郭嘉初见袁绍,谓其谋臣辛评等曰:“智者审于量主,袁公多端寡要,好谋无决,难与共济大难,吾将更举以求主,子盍去乎?”评等曰:“袁氏今最强,去将何之?”嘉不复言,遂去依曹操。操召见,与论天下事。出曰:“真吾主也。”杜袭、赵俨、繁钦避乱荆州,钦数见奇于表,袭曰:“所以俱来者,欲全身以待时耳。子若见能不已,非吾徒敢。”及天子都许,俨曰:“曹镇东必能济华夏,吾知归矣。”遂诣操。河间邢颛在无终,闻操定冀州,谓田畴曰:“闻曹公法令严,民厌乱矣,乱极则平。请以身先。”遂装还乡里。畴曰:“颛,天民之先觉者也。”孙策定丹阳,吕范请暂领都督,策曰:“子衡已有大众,岂宜复屈小职!”范曰:“今舍本土而托将军者,欲济世务也。譬犹同舟涉海,一事不牢,即俱受其败,此亦范计,非但将军也。”策从之。周瑜闻策声问,便推结分好,及策卒权立,瑜谓权可与共成大业,遂委心服事焉。诸葛亮在襄阳,刘表不能起;一见刘备,事之不疑。此诸人识见如是,安得困于乱世哉!
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容斋随笔 卷十二汉士择所从译文
汉朝自中平年间黄自军之乱起,天下动荡不宁,士大夫没有人不选择跟随的对象的,以此作为保全自身远避祸害的策略,然而不是英豪俊杰不能做到这一点。荀彧年轻的时候,认为颖川是四面开阔易受攻击…详情
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